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その時、ぼそりと鳳が呟いた。とても小さな声だったので、日吉もかすかに聞こえただけだった。
「……宍戸さんが無事で良かった 」
日吉が鳳の視線の先を辿ると、隣のコートでボレーを練習している宍戸の姿があった。
鳳は目を細めて嬉しそうに微笑んでいた。
日吉は、そんな鳳を見て思うのだ。
今まで、誰か他人のために何かしようと思った事は、一度も無かった。
テニスにしても、全ては自分のために行っている事だった。
もし榊監督が、この二人をレギュラーに選んだ理由がそのせいならば。
自分がなれないのは、当然だった。
誰かのために。
そんな理由では、日吉は動けない。
鳳のように盲目的には。
だから、鳳に恐怖感を感じるのかもしれない。
自分には全く理解できない人間だからだ。
だから、日吉はあくまで単独で、シングルスの選手として、テニスの試合をしたいと思う。
ただ、ほんの少しだけ、大切な人のいる鳳が羨ましいとも思うのだった。
「なあ、日吉。宍戸さんって可愛いよな? 」
「はあ?? 」
突然、鳳は日吉に対して意味のわからない事を言い始めた。
今まで、日吉と鳳は個人的な話をした事は無かった。
しかし鳳は、日吉に対して警戒を解いたらしい。
日吉は、自分と宍戸の敵では無いと思ったのかもしれない。
後になって、日吉はそんなふうに、今日の出来事を考えていた。
「宍戸さんって、ホラ、ものすごい意地っ張りだから。いつもツレナイ事ばかり言うんだけど。
でも、最後は俺の言う事をちゃんと聞いてくれるんだよね。昨日も…… 」
鳳はラケットを振るリズムに合わせるように、ひたすら 《 宍戸先輩の可愛らしさ 》を
語り続けた。
隣の日吉が唖然としているのも完全に無視して、相槌も必要が無いらしく、完全に独り言の
域に入っている。
どうやら、鳳の頭の中は、宍戸と自分の二人しか存在しないらしい。
日吉も良い加減に、この辺りで気がつき始めた。
この男は、やはり 《 普通では無い 》 のだ。
《 宍戸狂いの大馬鹿 》 なのだ。
その日、日吉は自分の目標を 《 下刻上 》 に集中しようと決心した。
レギュラー取りを考えるなら、樺地や鳳もライバルになるワケではあるが。
樺地は明らかに 《 人間離れしたサイボーグ 》 であったし、
鳳は 《 普通の人間とは到底思えない大馬鹿 》 であった。
先輩達も個性派揃いだったが、彼等はまだ 《 普通の人間 》 だからである。
どうせ戦うのなら 《 普通の人間 》 の方が良い。
日吉若は大変冷静な男だった。
そして、賢く思慮深い。
さらに他人の動向にほとんど興味を持っていなかった。
そのせいで、中等部の三年、さらに高等部の三年もの長い間。
この鳳長太郎と付き合えたのだと思われる。

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